中国ではこの日には「七種菜羹」(7種類の野菜を入れた羹(あつもの))を食べて 無病を祈る習慣があった。日本でも古くから行われており、『延喜式』にも記載されている。 平安時代頃には一月十五日頃に行われ、粥に入れていたのは米・粟・黍(きび)・稗(ひえ)・ みの・胡麻・小豆の七種の穀物だった。その後、春先(旧暦の正月は現在の2月初旬ころで春先 だった)に採れる野菜を入れるようになったが、その種類は諸説あり、また、地方によっても 異なっていた。現在の7種は、1362年頃に書かれた『河海抄(かかいしょう、四辻善成による 『源氏物語』の注釈書)』の「芹、なづな、御行、はくべら、仏座、すずな、すずしろ、 これぞ七種」が初見とされる。 江戸時代頃には武家や庶民にも定着し、幕府では公式行事として、将軍以下全ての 武士が七種粥を食べる儀礼を行っていた。